【路線変更】チムド、バラエティ路線へ
時は19世紀。
(PACHIKU「始まりから怪しい空気プンプンしてるけど大丈夫か?」)
明治維新後の国際社会における日本の地位は、欧米諸国から大きく遅れをとっていた。
その象徴たるものが、徳川幕府の時代に締結された欧米諸国との「不平等条約」の存在である。
明治新政府にとってこの「不平等条約の改正」こそが、国際社会での日本の地位を向上させるための至上命題であった。
やがて、この不平等条約は、時の外務大臣・陸奥宗光により治外法権の撤廃という形で一部改正に成功する。しかし、関税自主権の回復には至っておらず課題は残されていた。
そして、小村寿太郎の時、関税自主権の完全回復を実現し、不平等条約の完全改正に成功する。
(PACHIKU「予感的中じゃねーか!理解する気失せるくらい何言ってんだよだな!」)
そう、#チームドットをバラエティ路線に引き込んだKanKan.は陸奥宗光であり、「完全なるバラエティ集団化」を成し遂げたPACHIKUは小村寿太郎なのである。
(PACHIKU「もっと万人にわかりやすい例えにしろよ!」)
「バラエティ集団化」以降、配信やトーク形式の案件が微増し、業界関係者からは「MCのお手本」、「トークの勉強のためには#チームドットを見るといい」との評価を得るようになり、KanKan.とPACHIKUに至っては、個人でMCとしても活躍の幅を広げることとなった。
(PACHIKU「この記事ここからでよかっただろ絶対!」)
しかし、バラエティ集団化による「トーク尺の激増」により、ライブを観たいファンからは賛否の声が上がるも、それでもついてきてくれているので感謝しかない。
(PACHIKU「これはほんとにそうでしかない。ありがとうございます!」)
KanKan.は豊富な知識・ボキャブラリーと「頭の高速回転」による瞬発力により、隙のない掛け合いに定評がある。
(PACHIKU「確かにそうなんだけど、『日中電波の届かないところにいる』『グラサン着用必須』『ツボに入ると笑いが止まらない』この3点なんとかならない?」)
また、PACHIKUは「お笑いの純文学」、「伝統芸能」とも言えるシンプルなツッコミと絶妙な間の取り方、単純な顔芸、お茶の間に届く「わかりやすいお笑い」に定評があり、ある種の「様式美」が確立されている。
(PACHIKU「ハードル上げすぎだろ!」)
唯一の女性メンバーであるAzについても、加入前からMCやラジオパーソナリティとしての実績は周知の事実だが、実はちゃっかり大喜利大会で優勝した実績を持つ。
(PACHIKU「もう実績だけ見たら知名度高めの芸人じゃん!」)
ごみちゃんについては、トークにおける打率は2厘だが、モノマネと一発ギャグに対するチャレンジ精神を持ち合わせている。モノマネに限定すれば打率は2割5分ほどだが、結構な頻度で他人のギャグによるドーピングをする悪い癖がある。
(PACHIKU「打率低い上にドーピングしてるってそれもう逮捕案件だろ!」)
このような激しいチーム内競争の中、KEN.は必死に食らいついている。
(PACHIKU「いやリーダーが集めたメンバーにリーダーが首絞められてるんかい!なんでだよ!)